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大阪高等裁判所 昭和27年(う)2023号 判決 1953年1月21日

控訴人 被告人 野口やす子

弁護人 小林為太郎

検察官 横山邦義

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、本判決書末尾添付弁護人小林為太郎作成の控訴趣意書記載のとおりである。

控訴趣意第一点について、

主たる支配者の指揮監督を受けその機械的補助者として、他人の物に対し事実上の支配をするに過ぎない者が、主たる支配者の意思に反してその物を自分の独占的支配に移したときは、たとえ自分と同じ地位にある同僚の諒解の下に行つたとしても窃取と言うに何らの妨げはない。原判決の挙示する証拠によると株式会社井上電機製作所診療所勤務の看護婦である被告人が、同会社所有の医薬品材料等の出入保管を担当する同診療所主任西村正次の意思に反して本件の医薬品を同会社外に持ち出したことが明らかであるから、所論のように、右持出の際同僚看護婦奥西なみゑに告知したとしても、被告人の右行為が窃取にあたること多言を要しない。

次に、窃盗罪の成立に必要とせらられる不法領得の意思とは、権利者を排除して他人の物を自分の物としてその経済的用法に従い自分又は第三者のために利用又は処分する意思を言い、必ずしも終局的にその物の経済的利益を保持する意思であることを要しないから、会社の診療所に勤務する看護婦が、会社所有の薬品、ほう帯等の消耗品を、その主たる支配者の意思に反して他所に持ち出すに当り、負傷者があればこれを使用消費し、負傷者がなければそのまま持ち帰つてもとの場所に返還しておくつもりであつたときには、やはり同人に不法領得の意思があつたものと言える。原判決の挙示する証拠によれば、被告人は京都府乙訓郡向日町所在株式会社井上電機製作所診療所に看護婦として勤務中、京都市円山公園で平和祭のデモ行進が行われると聞き、会社所有の医療品を持ち出してデモに参加し、デモ隊員中に負傷者があるときはこれを使用し、もし負傷者がないときは持ち帰つてもとの場所に格納しようと考え、右のような医療品の社外持出については上司の承諾を得られないことを知つていたので、診療所主任西村正次に無断で、ひそかに原判示のほう帯、ガーゼ、綿花、油紙、ばんそうこう、アルコール、マーキロ、ヨヂムチンキ等の医薬材料品を荷造りし、これを携帯して京都市へ行つたことを認め得られる。然らば、被告人は、前記医療品を持ち出すに当つて、権利者を排除し他人の物を自分の物としてその経済的用法に従い自由に処分する意思であつたと言えるから被告人に不法領得の意思があつたことが明らかである。原裁判所が、被告人の行為に対し刑法第二百三十五条を適用処断したのは正当である。本件記録及び原裁判所において取り調べた証拠を精査しても、原判決に事実誤認その他所論のような違法はないから、論旨は理由がない。

同第二点について

本件記録及び原裁判所において取り調べた証拠を精査し、諸般の事情を考慮しても、原審が被告人を懲役六月に処しこれに一年間の執行猶予を附したことが不当に重いとは言えない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法第三百九十六条に従い主文のとおり判決する。

(裁判長判事 瀬谷信義 判事 山崎薫 判事 西尾貢一)

弁護人小林為太郎の控訴趣意

第一点原判決は事実誤認があり且つそれは判決に影響を及ぼすこと明瞭なものである。即ち原判決は起訴状記載の公訴事実をもつて犯罪を構成するものと認定し其理由として右事実は被告人が領得の意思をもつて為したものと断定して居るが右は重大な事実誤認であると思料する。

(一)被告人が公訴事実掲記の医療品を無断で持ち出した事は明瞭であるが其無断も医務室の主任である西村正次に対して無断であるけれども同僚の看護婦である奥西なみゑには持ち出す事実を告げて居る。この事は原審公判に於ける被告人の冒頭陳述にも表明されて居るところであるし第二回公判に於ける右奥西の証言にも明らかである。勿論如何なるものをいくらだけ持ち出すと言うことを具体的には告げて居ないが右奥西の証言によると「会社から持ち出すときは存じませんが、医務室で急救品を集めていたのは知つて居ります」とあつて、同じ医療品について専門的智識を有し而もその者も普段何時も医療品を取扱つて居る医務室で加之、其の者の見て居る前で集めて居るのであるから、具体的、個別的に何品をどれだけ持ち出すと告げたと同様であると確信する。殊更に具体的に種類数量を告げる必要はないし、特に急救品であるから右奥西も何故被告人がそれ等の品を持ち出すかも知つて居る以上これを告げた以上に明瞭と言いうると思料する。

右奥西に告げてこれを殊更らに西村に告げなかつたから、だから窃盗罪になるという理由は一つも無い。右西村が医療品を保管して居たと言うほどの法律上の地位にある者でなく、従つて彼が所持して居たものとは到底言へないところであるから…果してそうであるならば被告人の無断持出しも、之れを犯罪として罰するに足りる類ではない。原判決が違法性を阻却しないと主張する事は違法なものすべて犯罪で無い以上何のための弁明かこれを理解するに難いところである。

(二)被告人が雇傭されて居る被害者と目されて居る井上電機製作所には右のごとき医療品を持出す場合守らるべき社則がある事は一件記録を徴して明瞭であり、被告人も又これを知つて居たことも争そひ難い。然しながら右社則に基づいて社外持出しをしたことは稀である事特に小量の場合は持ち出した事実もあつたことも明瞭である(被告人、証人西村同安居の供述参照)。仮りに本件に於ける持ち出し医療品が曽つて稀にあつた無断社外持出し使用よりも其の量が大量であつたとしても唯それのみによつて罰せられるべきものであると思料する事は早計である。なんとなれば本件の場合は曽つて稀にあつた様な一人の怪我人又は病人のための治療では無く警察の警告より推測すれば或は多量に負傷者が屡出するやも計り知り難い程の場合である。かかる場合を予測しての用意として不当に多量であつたか、又は最小限度のものであつたか、又は右持ち出し医療品の為め会社の医務は其翌日には業務不可能でないまでも困難であつたのか否かにより可罰性を決定すべきである。原判決が本件行為を正当な行為でない違法性を阻却しないと唯漫然と語るのみであつて此等の点を精密に審理せず従つて可罰性を測定しなかつたことはこゝに審理不尽による事実誤認をまぬがれ得なかつたと思料する。

(三)被告人は看護婦であり普通人よりも何時も医療品を携帯する癖がある事は容易に推測されるところであり、其性癖とまでなつたうへ事実上警察の警告によれば混乱の場合は拳銃を発射するとの事態も想起するならば「好奇心で見に行くなら、その序に(医療品を)持つて行つて置いた方が看護婦としての立場としても結構と思い」(弁解録取書)右医療品を持ち出したことは当然な事であり「博愛心を持つてやつた行為」(第一回公判被告人の意見)と自負しても怪しむに足り無いところである。

特に被告人の場合は必ずこれを使用すると言う確信をもつて持ち出したものでなく心の用意を示したにすぎないものである。右医療品とともに風呂入りの用意の石けんと手拭、オカズを買う為め弁当箱をも携行して居るところから推すと被告人の心の用意は今夜必らず混乱による負傷者が頻出して持ち出しの医療品を必ず使用しなければならない事態が惹起するとの強い用意に基づくものでなく単に看護婦としての身だしなみ程度にすぎないと謂ひ得る。而も結果論としては警察官に誰何され早く発見されたために持ち出し医療品を使用する機会がなかつたと言うより早期発見されたゝめに本件のごとき事件になつたにすぎないことを考へ合はすと警察官に発見されなかつたならば右医療品全部がそのまゝ会社に持ちかへられた筈である。本件を可罰性を認定する事は社会常識にも反するところである、事実当日は事故はあつたが医療品を使用する必要の生じた事故は民衆側には一切無く特に円山公園附近に於て然りであつた。

かくのごとき本件に於て尚領得の意思を認定する事は事実誤認の甚だしいものであり「単に一時使用のために之を自己の所持に移すが如きは窃盗罪を構成せさるものとす」(大正九年二月四日判決)その大審院判例の趣旨にも反する結果となり仮りに前記の場合と異つて結果的に被告人が持ち出し医療品を一時使用したとしても「後から返すからこれだけを持ち出す」と奥西なみゑに言つて持ち出したことは明瞭である(第二回公判調書奥西の証言並びに被告人の冒頭意見)ところからすれず本件に領得の意思を発見することは事実誤認でありこれは正に本件を有罪か無罪かにする基本点であつて重大な影響を及ぼすものであり、到底原判決は破棄をまぬがれ難いと思料する。

第二点原判決は刑の量定不当である。仮りに百歩を譲つて本件が有罪であるとしても原判決の刑の量定は重きにすぎて居る 前記第一点掲記の事実はすべて本件の情状ともなりうべきものであつてこれをもつて見ても不当であるが更らに本件について言ふべき事情は (一)本件はこれが単に看護婦が他の大会の為めに医療品を持出したのであれば警察も検察庁も不問に附したところであることは相違ないが、この大会が日本共産党に関する大会であつたゝめそれによつて生ずる負傷者を介抱することは同党を援助するものであるとの考慮から本件を起訴したものである事は広言して憚らないところである。正に治安維持法的な思想の再現である。正に弾圧の一頁として起訴状を評価して過誤でないものであり、これに対する本刑が酷の極みであることは何人も否定出来ないところである。原判決は右起訴並びに本刑に追従したものに外ならないと思料する

(二)証人安居は被告人の進退問題について明確な証言を為して居ないが本件が有罪と確定すれば十中の十被告人は馘首されることは火をみるよりも明瞭である。この事は近時の経営者の常套手段でありそれ以上に起訴した丈けで馘首し或は無罪になつても事件があつた事が発覚すれば馘首し、思想事件の証人に喚問された丈けで就職を断はる類は頻々と現在行はれて居るところから推して原判決の如く本件が有罪となれば被告人はその職を追われる事は明瞭である。果してそうであるならば被告人を原判決のごとき刑に処することは重きにすぎると思料する。なんとなれば被告人は本件に於て重大な身分上経済上の不利益を受くることを想へば仮りに本件が有罪であれば以上の情状を十分にくんで最も軽るく最も減んずるのが法の涙ある所以であると思料する。

此点に於ても原判決は到底破棄をまぬがれ難いと思料する。

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